2016年3月28日
四季の境ともなると、私のようなセンチな人間はもののあわれ、ひどくしみじみとした気分になってしまいます。
思うにこの春へ向け、さあいざと筆をとると大抵の人は「出会いと別れ」についてふれるのかもしれません。
十把一絡げにいっても、その大抵の人の中の一人として、私も等しく想いを馳せるのはそれについてですが、つきます万般にわたるこまごまとした話は、今更言うまでもないことでしょう。
いつぞや似たような話を書いたときがありました。あれも冬から春への境であった気がします。
中身に関しても「一期一会」についてのことで、何に拠って立つところもない当たり前の話でした。
一期一会は一度きりの出会いの場にもお互い礼を尽くしましょうということですが、道徳的に優れているかは別にしても、この広い世の中で、一生に一度会うかどうかという人との、奇跡のような出会いの大きさに比べたら、多少の不満などは些細なもののような気がします。
であればこそ、その広い世界の中で偶然すれちがった者同士、その人との時間はかけがえのないものだったと思いたいものです。
そろそろ晩鐘の鐘が聞こえてきそうな頃合いかと思いますので、胡乱な話はここまでにします。
ツァラトゥストラは三十歳になると町を捨て山にはいった、とあります。
私も近しい年を迎え、人としても個人としても求めるところが少なくなり、お釈迦様の仏典にあるような「林の中の像」のような生き方にこそ憧れるようになりました。
しかし隠居にはまだ早いでしょう。当たり前ですね。
なぜなら、多くの人との出会いによって、その数だけ多くのことを学ぶことができましたし、何よりまだ私には学ぶことが多くあります。
結局ツァラトゥストラも山から下りましたし、私も山に籠るのはもっと先に取っておくことにします。
やっぱり出会いと別れの話になってしまいました。当たり前ですね。
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